戊辰戦争150年!
歴史の好きな方はお読みくださいませ。
戊辰戦争勃発の大まかな歴史上の背景、流れはある程度分かっていましたが
今回は朝敵?となった各藩の事情、その後のお咎めなどをもっと詳しく調べました。
比較的西日本は早く新政府側に恭順しましたが、 東北の諸藩、とりわけ会津藩、仙台藩、米沢藩、庄内藩、越後長岡藩等の奥羽越列藩同盟と新政府の奥羽鎮撫総督府の会津藩に対する扱いについて意見が交わされましたが、なかなか解決の糸口がつかめず、
ついには奥羽鎮撫総督世良修蔵氏が仙台藩武士により暗殺されるまでに至り
新政府軍は会津藩総攻撃となりました。会津はこの戦争により、藩と民は戦後明治にかけて大きな痛手となりました。たいへん苦難な道のりを歩んだのでしょう。
かたやわが桑名藩はと言うと
その中 あくまでも抵抗した桑名藩主とそれに追随した武士したの一団、
地元桑名に残った謹慎し官軍に恭順した次期藩主予定者(万之助)と武士、商人の動き
が別々という、本当に特殊な事情でした。地元桑名の一団が知恵と努力を重ね
大きなお咎めもなく、桑名の町が戦火に見舞われることもなく、
それが功を証し桑名は会津とは反対の明治維新を迎えることが出来たのでしょう。
文にすると簡単ですが、桑名の藩も約一年半にわたり文で表せない大変な知恵と努力と
葛藤が有ったのでしょうね。
各藩の行動についてはそれぞれ地元の藩の事情、しがらみ、家訓など
一概にわたしたちが、話を挟むことが出来ない次元の歴史上の一ページだったのですね。
また全国諸藩の動きも歴史を紐解くと面白いですね。
意外とこの本がわかりやすく書いてありましたので参考までに!
「朝敵から見た戊辰戦争」 桑名藩、会津藩の選択
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