大河ドラマは毎週楽しみに観ています。
登場人物の中に 桑名にたいへんゆかりのある
「本多平八郎忠勝(俳優山田裕貴)」が登場いたします。
忠勝は徳川四天王といわれ 関ヶ原の戦いの翌年(1601年)
上総国大多喜城から移り桑名初代藩主を務め 初めて近世城郭を築くと同時に
町割り行い大山田川、町屋川の流れを変えて外堀に利用しまた。
城の周りには家老、重臣たちの屋敷をかまえ、その外側には
商工業地として職業によって居住地を定め、
また町屋に隣接して下級武士の屋敷を整えました。
1600年代の前の川の流れ(町屋川・大山田川等)は
今とはまったく違う所を流れていました。
そのお話はまた機会が有ればお話しいたします。
👇写真は桑名城跡、九華公園にある 徳川四天王 本多忠勝の像
忠勝公が亡くなられた時(1610年) 嫡男忠政が
浄土寺(清水町)を菩提寺として「本多平八郎忠勝公」を祀りました。
現在本廊の立派な案内がございます。
千姫さまのことは桑名でも有名ですが
嫡男忠政が二代目藩主となり、二代将軍徳川秀忠の長女「千姫(家康の孫)」が
忠政の子「忠刻」に輿入れしました。
千姫は祖父の家康公に
大坂夏の陣の戦火から助けてもらったこと、
のちに桑名の忠刻に輿入れを認めてもらったことに感謝し
桑名の春日神社(桑名宗社)に
徳川家康を祭神とする東照宮を祀り、祖父家康の座像(木像)を祀りました
と言い伝えられています。
正面拝殿の右側を奥に進むと ございます。
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